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奥能登・珠洲

奥能登国際芸術祭の舞台となる珠洲は、1954年7月15日に、当時の三町六ヶ村が合併し誕生しました。

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日本海に突き出る能登半島の最先端に位置していることから、海上交通が盛んだった時代、北前船の寄港地としても栄え、多くの文物が交易される最先端の地でした。しかし、時代の流れとともに陸上交通が発展し、海上交通は廃れて最果ての地となっていきます。

ただ、視点を変えてみると、時代に取り残されて行ったこの地に残るものは、他の地域から見ると「忘れられた日本」とも言える姿が今もなお感じられる地になるのではないでしょうか。

土地に根付いた様々な伝統や祭礼。近年では食文化などが「能登の里山里海」として世界農業遺産に認定され、能登を代表する祭礼「キリコ祭り」が日本遺産に認定されるなど、失われつつある姿にもう一度注目する時代が来ています。

奥能登国際芸術祭は、珠洲を創生していく第一歩として、さまざまな視点からものを創り上げていくアーティストの力を借りて珠洲に眠るポテンシャルを掘り起こし、地域の活性化、地域の魅力を高め、日本の最涯から最先端の文化を創造する試みとしてスタートしました。 

珠洲に今もあるモノ

珠洲からなくなったモノ

珠洲のこれから

現在、世帯数5,979 戸、人口13,370 人(2021年11月30日現在)と、高齢化率が50%を超え、本州のなかで最も人口が少ない市となっています。市政誕生当時は、世帯数7,264戸、人口38,157人もの人がいたことから、2040年には7,218人になると推計されています(令和2年3月珠洲市人口ビジョンより)。
珠洲に限らず、今もその地に残っているモノは、それらを引き継いでいる人がその地に残っているからこそ見ることのできる景色です。
長年受け継がれてきたこの景色が残る間に、芸術祭が珠洲を知る一つのきっかけとなり、多くの人がこの地に触れ、第二の故郷の様にまた帰りたいと思ってもらえることを願っています。

珠洲の歴史